コラム
2020.11.16
実存主義哲学者のキルケゴールは言いました。
「月がチーズでできていても、それが私に何の関係があるのか!」
確かに、何の関係もございません。はい。
でも、よくよくこの言葉を眺めてみると、何とも言えない余韻を残します。すごいインパクト、そして詩的でとても繊細です。
キルケゴールは、「今ここにいる私」が何より大事で、自分にとっての真理を追究しました。そして、なんだかんだ言っても最後は人間は死ぬのであり、絶望しかないと言い放ちました。
そんなキルケゴールですが、彼が月とチーズを選んだのには、深い理由があるように思えてなりません。しかも、月→チーズという順番です。世間を騒がせているアメリカのトランプ大統領なら、
「チーズが月でできていても、それが私に何の関係があるのか!」
と言いそうなものです。この違い、分かりますか?
キルケゴールは、まず始めに、思考を384,400km先まで飛ばして、目の前にあるチーズに視線を落としています。思考半径を極大化することで、創造力や創造力をめいいっぱい広げたのではないでしょうか?彼だけでなく、読み手の思考半径も広げました。
自分中心ではあるんだけど、考えの及ぶ先をどこまで考えるのか?しかもその考える先は、まさに「月とスッポン」のように同じ次元で比べようのないもの。その思考のプロセスの違いが、仕事や人生で大きな差を生むように思います。
これらを「チーズ」とすると、「月」にあたるものは何なのでしょうか?
秋の夜長に考えてみてはいかがでしょう?