コラム
2021.10.14
前回のコラムで資本主義社会からは逃れられないのかといった話をしましたが、今回はその続きです。
岸田首相が盛んに、「成長と分配の好循環」「成長も分配も」という言葉を使っているのにはいささか同情の念も覚えます。成長に限界があるのは分かりつつも、お金という商品を増やして皆で分配しないと、資本家も労働者も納得できないという構造。
GDPという指標で国の成長率を比べているのですから、大きい枠組みでは資本主義社会の枠から抜けられることはないと思います。
商品やサービスの付加価値を増やそうと思えば、「安く買って高く売る」ことが一番の近道と考えます。その結果として、途上国や一部の人たちが多くの犠牲を払う。勝者と敗者、強者と弱者が生まれるのは、仕方ない。それが資本主義だから仕方ないというロジックです。地球にフロンティアがあるうちは、それでいいと思うのかもしれません。
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経済学者のカール・ポランニーは、経済の成り立ちには3つの形があると言っています。
互酬、再配分、交換の3つです。
互酬は義務としての贈与関係や相互扶助関係で物々交換も含みます。再配分は権力の中心に対する義務的支払いと中心からの還元です。交換は市場における財の移動です。
現代は、市場交換に偏りすぎていて、何でもお金で等価交換(実際は違いますが)で済まそうとしますが、その行く末はかなり危ういものであると思います。そのことは、政治家や学者だけではなく、一般市民でも何となく気づいている人も多いと思います。
私の会社では古着も集めていますが、ユニクロをはじめとしたファストファッションの衣類が商品タグがついたまま捨てられているのも日常茶飯事です。
いつどこのユニクロにへ行っても1,980円の服が買えるというのは本当にすごいことですし、恐ろしいことだと感じます。この大量の衣類が店頭に並ぶまでに、どこで誰がつくってくれたかなんて知らないですし、知ろうともしません。
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以前どなたかの話で、インドで荷物を運んでもらった際に、「ありがとう」と何度も言うと、嫌な顔をされたというエピソードを思い出しました。
普通なら誰かに何かしてもらったら、感謝の気持ちとして「ありがとう」と言うと思いますよね?しかしインドではそうではなかった。
誰かに良いことをされて感謝やお礼の気持ちを伝えると、言われた方はいい気分がしない。
なぜでしょう?
それは、自分が「ありがとう」という言葉をもらうと、与えた恩(徳)が消えてしまうと考えてしまう。等価の関係になり、取引関係が生まれてしまうという解釈だそうです。無償で誰かに恩を与えることは、業(カルマ)であるというものでした。
なかなか深いですね。
恩送りの考えは、かつては世界中にありました。映画「Pay Forward」の世界です。それが、今では労働力を商品として資本家は資本を蓄え続けないと生き残れないですし、労働者も貨幣という対価を得ることで、多くの時間を犠牲にしなければならない構造にとりこまれるようになりました。
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そんな資本主義の中で生きる私たちですが、10年後はどんな姿になっているのでしょうか?10年後の会社は、どんな形になっているのでしょうか?
私のざっくり予測ですが、以下のようなタイプに分かれていくと思います。
10年後の会社を考える上での重要となる問いは以下です。
あなたは、資本主義構造の「枠」の中で生きていかなければならない、と思い込まされていませんか?確かに、この「枠」から実質的に抜けることはできないかもしれません。
ただ、自分の「外」、現在の「外」にお金を使っていくことで、従来の資本主義社会の中に新しい「枠」が出来てくるように思います。
「参加」が一つのキーワードです。実際、そういう動きも出てきています。成長とお金が結びつくと、人間本来の目的を見失いがちです。そこに幸福感をどう織り交ぜていくか、しつこく考えていきたいと思います。
あなたは、どんな風に考えますか?