コラムコラム

努力の尺度

2020.10.01

「10,000時間の法則」というものがあります。

 

どんな分野でも、だいたい10,000時間程度継続してそれに取り組んだ人は、その道のエキスパートになるという経験則です。10,000時間と言えば、1日3時間を費やして、それをほぼ毎日続けて、おおよそ10年間かかります。1日1時間を費やして、それをほぼ毎日続けて、おおよそ30年間かかります。

 

プロ野球のイチロー選手、将棋の羽生棋士、サッカーの三浦知良選手といった超一流のプロを見れば、そのことも納得できます。ビジネスマの世界でもとんかつ屋の親父や寿司職人、大工など、その道20年、30年、40年と継続している方は、やはり経験に裏打ちされたすごいワザや知恵を持っている方がいます。世界観や哲学とも言えます。

 

しかし、目に見える才能や能力も、後天的に時間をかけて「努力」で身に付けたことによるものが大きいことを忘れがちになります。ですが、その「努力」を「時間」という尺度で測ろうとすると、結構苦しいものがあります。

 

時間の中で生きるというのは、時間の呪縛から逃げられないということ。時間に追われ、時間に惑わされてしまいます。

 

「毎日ピアノを8時間練習して、それを4年間続ければ10,000時間だ。」と考えると、よほどメンタルが強い人でないと達成するのは難しいでしょう。

 

 

美術家の横尾忠則さんは、

 

『時間よりも、むしろ何を何回やったかという「回数」のほうが、大事なんです。』

とおっしゃっています。

 

「回数」で物事を見ると、行動が生活に組み込まれるし、親近感も湧くし、人間的な気がします。一定の「時間」、というよりは意志を込めて始める「回数」のほうが、物事を続ける視点としてはとっかかりやすそうです。「回数」という言葉には時間的な広がりも感じられないので、目線を集中させる効果も期待できるのではないでしょうか?

 

そういえば、除夜の鐘の108回、お百度参り、千羽鶴、とかも、数ですよね。

 

「回数」という視点で努力をしてみると、面白みや気楽さも味わえるのではないでしょうか?「餅つきを3分間やろう!」ってものすごい違和感ですから。

 

経営者や管理職の方は、社員やお客との関係性にも「回数」の視点を入れてみると、「結果」の手前の「感触」を得やすいと思います。

奥富 宏幸
\この記事を書いた人/ リーダーシップ&キャリアデザイナー

奥富 宏幸 - Hiroyuki Okutomi -