コラムコラム

三冊読みのススメ

2025.03.03

これから不定期ではありますが、ビジネスや人生を豊かにする本を紹介していきます。

 

みなさんは、読書していますか?

 

最近はあるテーマやキーワードに関連した本を同時並行で読んでいます。一見関係のないような本で「三冊読み」をすると、思いがけない発見があったりで楽しいです。

 

今は「評伝」にちなんだ3冊を読んでいます。タモリとやなせたかし(アンパンマン)とユーミンの間にどんな意味が立ち上がるのか。1972年は3人にとってもすごく重要な年であることを発見しました。社会が3人を生み出したのかもしれません。

 

 

【国民的三種の人儀】

逆回転する資本主義の歯車

日本の高度経済成長期、子どもはみんな「巨人、大鵬、卵焼き」に夢中だった。対して、大人たちは「大洋・柏戸・水割り」なんて言う人もいた。世の中の景気と国民の雰囲気というものは、いつも気まぐれなものだ。

松岡正剛は『資本主義問題』の追伸で、変動相場制とともにグローバル資本主義の狂い咲きがはじまったという。1973年、第一次オイルショックの発端は中東戦争だった。泥沼のベトナム戦争で疲弊した米国がチリの軍事クーデターに加担した。ユージン・スミスの「水俣」、リー・フリードランダーの社会的風景、ミヒャエル・エンデの「モモ」は、それまで突き進んできた資本主義化の工業化社会と物質的幸福観へのアンチテーゼとして世界中で表出した。日本に目を向ければ、1972年には沖縄が本土に「復帰」、あさま山荘事件が「勃発」、角栄が日本を「改造」しはじめた。資本主義の歯車が「逆回転」しはじめたこの時期に、まだ名もないものがいくつも「誕生」していた。

三種の人儀

戦後のニッポンがパッチワークで構築した政治と経済のシステムを作り直すことは相当難しい。であるならば、文明ではなく文化に注目してみたらどうか。日本を代表するような突出した個の「表現」に、グローバル資本主義のまやかしから目を逸らし、過去と未来をつなぐシグナルに気づく手立てがないだろうか。

そこで、タモリ、ユーミン、アンパンマンなのである。1972年、タモリが山下洋輔トリオによって「発見」され、ユーミンが「デビュー」した。翌1973年、『あんぱんまん』が絵本として「出版」された。それぞれがギネス記録の持ち主でもある。

三者三様だが、共通しているのは、その真の価値がつかみづらいのに、国民に永く愛され、売れ続けていることだ。それぞれがお金には代えられない普遍性と不変性を持っている。そんな彼らは、資本主義問題を考える上での三種の人儀といえよう。

包み隠して味わう

永六輔は、サングラスによって相手に視線をみせないことこそ、タモリの強みだといっている。いつも飄々として、つかみどころがない。自分の存在を薄め、国民の空気を巧みに翻訳する。国民に見られるタモリと、サングラス越しに見るタモリの間には、決して相容れない価値が存在する。

これは、ユーミンの武器でもある「外は革新、中は保守」の二層構造にも通じる。ユーミン自身は早くに結婚して名字を変えてしまった。歌は革新的でありながら自分の中に「平凡な人」を潜ませている。時代とともに女性の社会的立場が変わっていく中で、ユーミンの曲は二層の外側の「新しい女」性と、内側の「古い女」性の選択を迫る役割も担ってきたのだろう。

アンパンマンは、いつもバイキンマンと戦っているが、正義や善悪は、互いが存在しなければ成立しない二項同体の関係として描かれてきた。食べ物とばい菌、人間とウイルス、どちらが欠けても生きていけない。あんぱんは、和のあんと洋のパンの二層構造でできている。世界は最初から分け過ぎてはいけない。

コトバに近づきすぎない

インチキ外国語や寺山修司の思想模写など、タモリは「どうしたら対象になりきれるか、その心境にまでいけるか」を考えていた。「何かものを見て、コトバにしたときは、もう知りたいものから離れている。」と感じていたからだ。長年、生放送をしているのは、その場でしか生まれないコトバの未熟さを露わにしたいからこそ。再生産や貯蓄ができない、その一回性にテレビの可能性を見たのである。

時代の変遷とともに女性の様々な生き方を肯定してきたユーミンは、「自分の歌が、詠み人知らずの曲として、残っていってほしい」と願った。それは、コトバを超えた永遠に普遍性を持つメロディと、「自分にもできるかもしれない」という可能性を与え続けた。ユーミンの大きな罪は、女性たちに、一瞬と永遠、両方を我が手に抱かせてしまったことなのだ。

アンパンマンは、自分の顔をちぎって子供に食べさせる。「正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくもの」なのだ。やなせたかしは、東日本大震災の被災地で『アンパンマンのマーチ』が流れていると聞き、ぼろぼろになりながらも、生涯現役を貫いた。人間らしいものはできるだけ排除したアンパンマンだったが、最期はやなせたかし自身がアンパンマンとなった。コトバから離れ、人間に近づくことをそっと教えてくれた。

国民的な三種の人儀である彼らは、これからもマネーに張りついたコトバを溶解し、資本主義の船からおりられないわたしたちを救いつづてくれるだろう。

 

参考本:
『タモリと戦後ニッポン』近藤正高/講談社現代新書
『ユーミンの罪』酒井順子/講談社現代新書
『わたしが正義について語るなら』やなせたかし/ポプラ社

奥富 宏幸
\この記事を書いた人/ リーダーシップ&キャリアデザイナー

奥富 宏幸 - Hiroyuki Okutomi -