コラムコラム

「資源」を俯瞰する

2021.02.18

人類は約10,000年前に定住生活を始めました。それから、人の住む境界が拡大するにつれ、領土や国境を決めることに苦心し、資源の奪い合いが今まで延々と続いています。コロナ禍でそのことがさらに露呈したのではないでしょうか?

 

「影響力」の範囲と強さが、大きく変わりつつあるように思います。

 

 

さて、「しげん」という言葉を聞くと何を思い浮かべますか?ほとんどの人は、「資源」のことを考えると思います。しかし、「しげん」には、4つのステージがあるのではないでしょうか?

 

一つ目は、文字通り、「資源」。地球上にある自然や生物、水、石油などの有限の天然資源です。これらは地球上にある公共物なので、人間だけのものではありません。

 

しかし、人間には、無限の独占欲、所有欲があり、私物化していきます。限度が過ぎれば、森林伐採や二酸化炭素の排出、地盤沈下などを引き起こしていきます。それが「私源」です。

 

さらに、人間の欲求が肥大化すれば、ごみが増えます。海洋プラスチックごみ、埋め立て地に収まらないごみ、原発事故で汚染された土。これらは自然に分解されずに負の遺産として、長期間地球を痛めます。生物を死に向かわせる「死源」です。「死源」をなくすのは簡単なことではありません。

 

ただ、人間には困難を乗り切る智慧や協力し合える心があります。それらをうまく使えれば「私源」や「死源」を減らし、「資源」を維持することも可能なのです。社会問題を解決していくための思考の源である「思源」を増やすことが、大人子供限らず、誰にでも求められるものになるのではないでしょうか?

 

「思源」を増やすには、教育・教養が必要ですし、多様なバックグラウンドを持った人が対話できる場が必要になります。その意味では、コロナ禍の今は、コミュニケーションのあり方を大きく変えるチャンスでもあります。

 

 

今回のコロナウイルス禍だけでなく、多くの社会・経済・環境問題は、巨視的に見ると共通しています。

 

  • 米中の貿易摩擦
  • イギリスのEU離脱
  • 海洋プラスチック問題。
    ・・・

 

それは、過剰消費と資本の独占に目がくらんでしまったグローバリゼーションの顛末に他なりません。何千年も前から、人は領土や国を奪い合い、植民地化を繰り返してきました。自分(自国)にない資源や資本を他人(他国)から搾取することは、人間の性とも言えます。人類の文明の発展が農漁業、商業、工業、情報通信業の恩恵を受ける中で、ビジネスの規模の拡大がよりスピーディーにできるようになりました。時間をかけて育ててきた資源(自然、建物、人材)の価値も、グローバリゼーション化の競争の元、近視眼的な利益の前では薄れてきてしまいました。

 

お金を稼ぐ手段も、物々交換、安い労働者の使用、大量生産、プラットフォーム化、マネーゲームとリアルなものからバーチャルなものへ移行してきました。目に見える実物から、目に見えない記号を使う世界への進行が進んできました。つまり、「”商品”が欲しいのではなく、”買った”ことが欲しい。」のです。

 

 

今回の新型コロナウイルスの感染拡大などの大惨事が起きると、人は一時、目覚めます。「今までのビジネス、ライフスタイルは、どこか行き過ぎていたのではないのか?」と。

 

災害は戦争と違って、全員が被害者です。そこにはお金は絡んでいません。そして、自国だけで問題を解決するのは難しくなります。同じ世界規模の問題でも、各国でCO2排出量の削減目標を掲げる、とかいうのとは次元が異なります。問題解決の緊急度と経済不況の影響度が今までのどの災害よりも長期化する可能性があります。そういう意味では、今回のコロナウイルス禍は、もしかしたら地球からの最後通告なのかもしれません。

 

自国ファーストでこのまま動くのか、世界各国が協調して、資源を共有し、適正に再配分する枠組みをつくっていくのか。国民も自分の損得だけを考えて、資源の独占に走るのか、智慧を絞って資源の最適利用を考えていくのか。その選択が、問われているのだと思います。

 

あなたは、どんな風に考えますか?あなたのビジネスにどう活かしていきますか?

奥富 宏幸
\この記事を書いた人/ リーダーシップ&キャリアデザイナー

奥富 宏幸 - Hiroyuki Okutomi -