コラム
2020.10.26
ほぼ日に「仕事のかたち」について面白いことが書いてありました。糸井さんの2012年2月10日の「今日のダーリン」から一部抜粋です。
しかし、それにしても、
誰も彼も、なにもかも、みんな会社員になってしまった。
長い間フリーランサーで仕事をしていたぼくも、
チームプレイをやろうとして会社にしてしまいました。
そういうぼくが言うのも、口幅ったいのですが、
生きる術が会社員以外ないかのような社会は、
やっぱり、ずいぶんおかしいと思うんです。
「職業につく」ということと、
「企業に就職する」こととはイコールじゃないはずです。「会社員」だから収入が安定しているとか、
「会社員」だから信用されるとか、
「会社員」だから、生活設計ができるとか、
いろいろよさそうなことを言われてきましたけれど、
そうともかぎらないということも、わかってきました。日本中、「会社員」ばかりというのが、
そもそも、ずいぶん不思議なことだという気がします。
「会社員」じゃない生き方をすると、
「会社員」に比べて、どんだけ不利なのでしょうね。
なんか、これはいまのぼくの直感なんですが、
「会社員」じゃない人たちが生みだすものが、
これからの豊かさをつくっていくんじゃないかな。
職人、主婦、無職、商店主、手伝い、老人‥‥
こういう人たちにできること、
こういう人たちが必要とされることって、
ほんとは、もっとたくさんあると思うんですよね。
引用 https://www.1101.com/home.html
社会も個人も抜けきれない現状があります。
自分の身分を「会社員」と表現した瞬間に、個々人の特長や資質が薄められ、大多数の中での保護色になってしまうのかもしれません。個性が弱められてしまう。でも、安心感がある。だから、「いい企業に就職する」ことが、「働く」ことになってしまうのかもしれません。
大きな見方をすれば、今まで日本は、過度な依存関係が成立する企業構造(社会構造)を形成してきました。そうすると企業内、企業間でもガチガチの組織・権力の不均衡な力関係が出来てきて、その力関係から見動きが取れなくなってしまいました。
働きながらも社会とつながりを求めていきたいという流れは出てきていますが、まだまだ、自分が働く「会社」で「会社員」でいることで落ち着いてしまっている気もします。
ジャングルには秩序はあるが法はありません。
ジャングルであれだけ多種多様な動物が共存できるには秩序があるからです。それは、縄張りであったり、自然の営みであったり、ジャングルそのものの存在であったり。まさに、弱肉強食、食物連鎖の厳しくも真っ当な世界です。
一方、人間世界はどうでしょう?
多様な「仕事のかたち」があって、主婦も老人も商店主も職人も胸を張って仕事ができ、共存できる社会になってほしいなと思います。そのためには、新しい秩序が必要だと感じています。会社と社会の境目がなくなってきている今、もう「会社員」という言葉もなくなればいい。