コラム
2021.01.18
「愛しているのに、愛してくれない」と考えがちな人は、基本的にまちがっている。つまり、その人は、「愛する」ことはもともと難しいものだ、と、知らないのだろう。
引用 糸井重里『ボールのようなことば。』
私は愛を語れるほど、成熟した人間ではありませんが、この言葉の言わんとするところは分かりますし、とても共感できます。
男と女は、違う言語を話す全く違う生物だということを理解していたとしても、実際は喧嘩が絶えないのはなぜなのでしょう?
「私がこんなにやってあげているのに、なんで分かってくれないの!」
となるのは、愛をビジネスの取引のように考えてしまうから。
そうすると、なかなかうまくいかないです。
自分が相手に与えたものに見合った報酬は、人それぞれ。お金やプレゼントや相手の行動なのかもしれません。
それらを牛丼に例えるなら、トッピングとして増し増しされたネギのようなもの。ネギの量の期待値と実際の量が違うと、クレームを言ってしまう。「愛しているのに、愛してくれない」という言葉が出てきてします。トッピングはあくまでサービスだということ忘れてしまう。
「愛する」には、「愛される」が含まれることを忘れてしまう。
「期待しないで期待する」感覚があると、相手もそれほどプレッシャーを感じないと思います。ただまっすぐに愛を伝えるだけではない、女性の心の機微をSuperflyは「愛を込めて花束を」でこんな風に描いています。
愛をこめて花束を大袈裟だけど受け取って
理由なんて訊かないでね
今だけすべて忘れて笑わないで受けとめて
本当のわたしを
いつまでもそばにいて
繰り返しになりますが、私は愛を語れるほど、成熟した人間ではありませんが、ストレートに感情表現するだけが愛ではないと思っています。愛すること、愛されることを通して、人間らしくなるのでしょうか。スコット・ペックは、愛をこんな風に形容しています。
愛とは、自分自身あるいは他者の精神的成長を培うために、自己を拡げようとする意志である。