コラム
2020.12.03
12月1日は映画の日、だからというわけではないですが、昨晩は家で「ランボー 最後の戦場」「ランボー ラスト・ブラッド」を観ました。70歳にしてあの肉体、まさに異次元の領域です。ストーリーは・・・ 想像にお任せします。
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今日は、強者のメンタリティーについて。
ビジネスでの強者は、今の自分にとってやれることは全てやる。
目の前の課題に向き合う
目の前の課題を乗り越える
そのために思考する
そのために言語化する
これは非常に苦しいことです。
でも、それをしないで、誰かのアドバイスやネット・本などの情報に頼っても何も変わりません。自分の意志と行動を積み重ね、失敗と気づきを繰り返す。今までの考え方や行動を否定し、自分の価値観を否定する。
その苦しみを経ることなく、誰かの助けを借りても実になることは微々たるもの。
自分がやれることは全てやる。
その上で、誰かにサポートを仰いだり、雨乞いのように祈る。まさに、「人事を尽くして天命を待つ。」ということですね。
対して、弱者は、強者に対してルサンチマン(逆恨み)を持ちます。
「あいつは運が良かったから成功した。」
「あの会社は、たまたまヒット商品が出た。」
「金持ちの子は金持ちになれる。」
「こんな厳しい状況では誰だってうまく行きっこない。」
そんなセリフを周囲にも、自分にも履き捨てます。
それは、劇場でただ遠くから罵声や避難を浴びせている観客と同じ。ステージ上で、苦しみながらも自己表現できる演者の喜びは分かりようもありません。
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仕事に対しても同じ事が言えます。
「これは自分のやりたい仕事ではない。」
とか、
「自分にはもっと合う仕事がある。」
とか言う人がいます。
どこかに、自分の価値を最大限発揮できる、理想の仕事があるはずだ、と。ビジネスで結果を出している人というのは、そういう次元で仕事を見ていません。
仕事の先にあるものを探究します。好きでない仕事もします。つまり、「本当に好きなもののために嫌いなことをするのが仕事」ということです。ですので、仕事に優劣を置くこと自体がナンセンスです。
総務部の事務職、スーパーやコンビニのレジ係、ゴミ収集の運転手、宅配便の配達員といった仕事は、世の中的には、いわゆるクリエイティブな仕事ではないと思われがちです。でも、それらの仕事に携わっている人たちの中にも他の人とは明らかに違う輝きを放ちながら働いている人がいます。
彼らは他の人と一体何が違うのでしょう?
私の知人で、経済的に恵まれていない看護師を目指す生徒のために塾を経営している方がいます。もうかれこれ25年以上になります。最初は、小さな雑居ビルの一室からはじめました。一時期は都内を含め10ヶ所まで教室を増やしました。
しかし、不況のあおりを受け、多くの個人塾が倒産する中で、彼の塾も大手予備校に太刀打ちできるはずもありませんでした。そんな厳しい経営環境の中でも、彼は周囲の反対を押しのけて、飄々と教育業に向き合っています。現在も小さな雑居ビルで、彼を慕う生徒の前で笑顔で教えています。あの笑顔の奥にある忍耐と信念を想像すると、ある種のカタルシスを覚えます。
仕事は探すものではなく、つくるもの、さらには、仕事になるもの、ということでしょうか。
ランボーも言っていました。
「無駄に生きるか何かのために死ぬか ・・・お前が決めろ」と。