コラム

2026.06.12
最近、銀行の営業マンがよく会社にやってくる。ここ数年、その数は明らかに増えた気がする。銀行だけではない。信用金庫からも「まずはご挨拶を」と電話が入り、一度お話ししたいと言われる。埼玉の小さな会社に、遠方の金融機関まで足を運んでくる。
その光景を見るたびに、少し考えこんでしまう。日本は「失われた30年」と呼ばれる時代を抜け出せないままここまで来た。銀行もまた、その社会と並走してきた存在である。マイナス金利政策は本当に効果があったのだろうか。銀行という仕組み自体が、どこか転換点を迎えているのではないか。そんなことを考えていた。
先日会った銀行マンは、どこか銀行マンらしくなかった。少しカジュアルな服装のせいかもしれない。穏やかな笑顔のせいかもしれない。こちらの警戒心を解くような雰囲気を持った人だった。一通りサービス紹介が終わったあと、彼はふとこんな話を始めた。
「最近の若い子は、目先のことばかりで、何のためにやっているのか考えられないんですよね」
よく聞く話だ。私もつい、「分かります。SNSや生成AIの影響もあるんでしょうね」などと適当に相槌を打った。けれど心の中では別のことを考えていた。
「それで、本当に言いたいことは何だろう?」
話を聞いているうちに見えてきたのは、若手社員への不満ではなかった。彼自身の揺れだった。銀行員として金融商品を提案する。しかし、自分でもその商品を心から良いと思えていない。本部がつくったチラシに書かれた説明を読み上げながら、どこかで疑問を抱いている。何のために売るのか。なぜ必要なのか。彼が若手社員に感じていた違和感は、実は自分自身に向いていたのかもしれない。
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その話を聞きながら、私は別のことを思い出していた。最近、副業人材を活用するサービスを初めて利用した。社員を一から育てるのではなく、必要な能力を持った人にプロジェクト単位で参加してもらう仕組みである。
すると驚いたことに、40人近い応募が集まった。有名企業の管理職やコンサルタントもいた。最終的に採用したのは、グループ売上1兆円規模の企業の事業部長と、大手電力会社で働く30代の男性だった。二人ともとても誠実で優秀な人だ。
しかし、ふと不思議になる。なぜ彼らは副業をするのだろう。十分な給与も、社会的地位もある。それでも休日や夜の時間を使って、私の会社のような小さな組織に関わろうとする。能力を持て余しているのか。本業ではできない何かを求めているのか。一つの会社で定年まで働くという前提が、少しずつ揺らいでいるようにも見える。
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そんなことを考えていたとき、YouTubeある対談でミミグリの安斎勇樹さんの言葉を反芻していた。
「組織は、継続を前提にすると創造性が失われる」
少しドキッとする。
大企業は環境の変化になかなか迅速に対応できないので、時間をかけてファシリテーションを入れながらじっくりと組織変革を行うニーズがあるとのこと。ミミグリもそれで飯を食っているわけだが、安齋さんはその構造に何となくモヤモヤしている。とても、正直な経営者だと思う。
日本では「続けること」そのものに価値が置かれることが多い。会社も事業も雇用も、まず継続が優先される。もちろん、それは大切なことである。けれど、その継続を守るために、本来生まれるはずだった変化や挑戦が失われていることもあるのではないか。
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銀行マンも、副業人材も、組織変革に取り組む人も、それぞれ違う場所で似たような違和感を抱えているように見える。何かがおかしい。でも、その「おかしい」を簡単には変えられない。だから人は、その中で折り合いをつけながら生きている。昨日も今日も明後日も。
最近思う。「おかしい」をすぐに解決できなくてもいいのかもしれない。まずは、その違和感を見失わないこと。そして少し距離を取って、「おもしろおかしい」くらいに眺めてみること。そうすると、不思議と息がしやすくなる。
かつての私は、大企業という「あちら側」にいた。
今は中小企業の経営者として「こちら側」にいる。
けれど実際には、その境界は思ったほどはっきりしていない。
あちらにも揺れがある。
こちらにも揺れがある。
立場は違っても、みんな何かしらの「おかしい」を抱えながら生きている。
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なぜ私はこんなことが気になるのだろうか。
銀行マンの本音や、副業人材の動機や、組織の中で生まれる違和感。振り返ってみると、その兆しはずいぶん前からあった気がする。マイケル・マクルーハンの言葉を借りれば、「われわれはバックミラーを通して現在を見ており、未来に向かって後ろ向きに進んでいる」ということだろうか。
子どもの頃、私はよく蟻を見ていた。甘いものを置けば、どこからともなく集まってくる。障害物を置けば、その隊列は乱れる。それでもしばらくすると別の道ができる。彼らの秩序があるようでないような動きに、私は飽きもせず、その様子を眺めていた。蟻そのものが好きだったというより、なぜそうなるのかが気になっていたのだと思う。
家では父と母が言い争うことがあり、学校では先生が生徒を叱る姿も見た。父に怒られないように、先生に目をつけられないように、自然と空気を読むようになった。人の感情がつくりだす空気に敏感だった。人が何を言ったかよりも、その場にどんな力が働いているのかが気になっていた。
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秘密基地づくりも好きだった。スーパーや空き地で拾ってきた板や箱を組み合わせて、自分たちなりの世界をつくる。完成すると嬉しかった。けれど、数日後には突然なくなってしまうこともある。壊されたときの喪失感と、「だからまたつくりなおしたい」という気持ち。そこには、世界が壊れても何度でもやりなおせる、一創造者としての態度が芽生えていた。複雑な世界を複雑なままにつくりなおしたいう衝動が付きまとっていた。
漫画を読んでも、『キャプテン翼』の翼くんより岬くんが好きだった。中心で光輝く人よりも、その周縁で全体を支えたり、流れを変えたりする月のような存在に惹かれた。今思えば私は昔から、人や組織の中心ではなく、その背後にある関係や構造を見ていたかったのかもしれない。
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社会人になってからも、その癖は変わらなかった。最初に入った製薬会社は、今振り返るとずいぶん息苦しい職場だった。入社して間もない頃、おでこをハンカチでよく拭く課長に呼び出され、「社内恋愛は禁止だから」と言われたことがある。それでも隠れて同期の子と付き合っていたのは、スリル満点だった。
自分の仕事が終わっても、先輩が残っていれば帰りづらい。飲み会では会社への愚痴や不平不満が飛び交う。私はその輪に加わりながらも、「こんな大人にはなりたくない」と思っていた。なぜみんな嫌だと言いながら従うのだろう。なぜ我慢を続けるのだろう。そんなことばかり考えていた。
けれど、その会社で出会った人たちのことは今も忘れられない。
数か月に一度、先輩社員と二人で宿直をする日があった。社内を見回ったあと、四畳半ほどの部屋で夜を過ごす。仕事中は厳しい先輩だった。怖いし、理不尽だと思うこともあった。ところが夜中に缶ビールを片手に話していると、会社の未来や家族のこと、自分の将来への不安をぽつりぽつりと話し始める。
「俺だってよ…」
その言葉が今もずっと耳に残っている。
昼間は会社の論理を背負い、部下を叱る側にいる人だった。けれど夜になると、一人の人間に戻る。本当は迷いも不安も抱えている。その姿を見たとき、私は少し救われた気がした。本音と建前は別々に存在するものではなく、一人の人間の中に同時にあるのだと知ったからだ。
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その後、私は外資系企業、コンサルティング会社などへと職場を移していった。世間から見れば「あちら側」の世界だったと思う。優秀な人たちと働き、大きなプロジェクトにも関わった。それは刺激的だったし、正直なところ誇らしくもあった。けれど、どこへ行っても気になったのは人の本音だった。会議で語られる理想と、エレベーターの中で交わされる愚痴。変革を掲げながら変化を恐れる組織。自由を求めて努力してきた人たちが、いつの間にか評価や肩書きに縛られている姿。私自身も例外ではなかった。知名度のある会社に入り、自信のなさを埋めようとしていた。本音と建前のあいだで揺れていたのは、私自身だったのである。
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だから今も、銀行マンの話が気になるのだと思う。副業人材の話も、組織変革の話も同じである。私が見ているのは社会の変化そのものではない。その変化の中で揺れている人たちだ。本音と建前。組織と個人。継続と変化。強さと弱さ。どちらか一方を選ぶのではなく、そのあいだに立ち現れる迷いや葛藤に、私はいつも惹かれてきた。
家業の経営をしながら、コーチングをしたり、対話の場をつくろうとしているのも、その延長線上にあるのかもしれない。人は誰もが何かを演じながら生きている。それでも、ときどき本音がこぼれる瞬間がある。私は昔から、その瞬間が好きだった。
「おかしい」をなくしたいのではない。
その「おかしい」の奥で、人が何を願い、何に迷い、どう生きようとしているのか。ただ、そのことを知りたいのである。
答えを急いで手に入れるよりも、その問いをもう少し持ち続けてみたいと思う。関係を決めつけるのではなく、開いたままにしておきたいとも思う。
「あちら」と「こちら」。
そのあいだを行き来しながら、人は何度でも選びなおせるのかもしれない。まだ答えは分からない。けれど私は、その問いを手放したくないのである。