コラム
2022.04.08
先日、「コーダ あいのうた」を観てきました。アカデミー作品賞を受賞したので、ご存知の方もいらっしゃると思います。ここ2、3年では一番感動した映画です。
ストーリーは、家族と愛について綴ったシンプルなものですが、俳優も聴覚障害者にしたことで、物語が本当に美しかったです。エミリア・ジョーンズの演技と歌は最高でした。間違いなくこれからスターになるでしょうね。確か撮影していたのは17歳だったというから驚きです。
元々はジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」ですが、歌詞の一節に、こんなフレーズがあります。
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今わたしは愛を両側から見つめている
与える側やもらう側から、あれやこれやとね
でもそれは愛の幻影だって気がついたの
本当は愛のことなど何もわかっちゃいないんだって
今わたしは人生を両側から見つめている
勝者の側や敗者の側から、あれやこれやとね
でもそれは人生の幻影だって気がついたの
本当は人生のことなど何もわかっちゃいないんだって
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すごく哲学的で深い歌詞ですねー。
雲、愛、人生・・・
どれも形があるようでないものですし、どこから見るかによって、その姿も変わります。
私たちが
「○○はこうだ!」
と決めつけることなんて、所詮、幻影なんです。分かっているようで、何も分かっていないのかも知れません。
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主人公のルビー(エミリア・ジョーンズ)は、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聴こえます。聴覚障害のある親がいる子供のことを”Coda”(Children of deaf adults)と言います。それが映画のタイトルになっています。家族のために健常者との間で「通訳」をするのがルビーの役割です。
家族はルビーがいないと漁にも出られないし、捕った魚の値決め交渉も不利にさせられたりしています。漁に出た船が緊急無線や近くの船の合図に気づかないと、大きな事故にもつながるからです。映画の舞台はアメリカのボストン近郊ですが、最近は技術的な対策がなされれば、耳が聞こえない人だけでも漁に出ることが出来ると聞きました。
こういった社会的弱者が虐げられるケースはまだまだたくさんあります。そんな時に、「通訳」をする人物の役割はとっても重要になります。
言葉の通じない人たちのあいだに入って、両者の言葉を翻訳して伝えるだけが「通訳」ではありません。もう少し「通訳」の概念を広げてみれば、
と言い換えてもよいと思います。
とも言えますね。
昔と今
私とあなた
好きと嫌い
正しいと間違っている
二項対立 ― どちらか一方に振れすぎることが多い今日ですが、「あいだ」に入って、一方の答えを探すのではなく、問題そのものの形を変えたり、問題を解消する「通訳」の役割がこれからますます必要になります。
これは会社や社会で求められる新たなリーダー像なのかもしれないなと思いました。対話を通して参加者を巻き込み課題を解決していく、ファシリテーターに必要な能力なんだと思います。
もし、あなたが今抱えている問題があって、なかなか抜け出せないのであるとすれば、それは、その問題を一方向からだけ見ているかも知れません。いろんな方向から見てみると、
「何も分かっていないんだな」
と思えるかもしれません。
そこから、「通訳」が始まっていくのだと思います。