コラムコラム

働くことは生きること

2020.06.30

コロナウイルスの感染拡大を通して、日本は経済的には豊かになったのに、なぜか息苦しく、満たされていないと感じることが強くなりました。ココロが疲れている人が多いのでしょうか?

 

私自身もサラリーマン時代は短期間で成果を出すことにやりがいを感じつつもプレッシャーも常に抱え、心身ともに疲弊していました。

 

20代の時は、組織のしがらみやルールに反発していましたが、社会の中での自分の居場所や実力を客観的に見ることが出来ていませんでした。上司や会社に反発することで、弱い自分のことを守りたかったのだと思います。

 

30代になると、キャリアを高めることに邁進していました。ただ、そのキャリアというのが、会社名や職種、給料などの「外的キャリア」であったために、いつも他人と比較し、他人の評価を気にしていました。

 

「○○会社で働いているなんてすごいねー。」

「コンサルタントって頭が良いエリートばかりなんでしょ?」

「年収○○万円くらいは余裕で稼いでいるんだろうね。」

 

そんな周囲の言葉を聞くことで一種の優越感に浸っていましたが、内心は、自信のない自分を大きく見せることに怯え、自分は、本当は働くことで何を実現したいんだと自問自答する日々でした。

 

「働くこと」と「生きること」をどんな風にとらえたら、一日が少しでも充実したものになると思いますか?

 

私は、ドイツでの生活がその問いの答えを真剣に考える転機となりました。

あちらでは、職人でも、清掃員でも、デザイナーでも、自分の仕事について、自分の言葉で語る人が多かったように思います。自分の仕事観というものを持っているのだと思います。

 

「生きることの一部に働くことがある」、あるいは「生きることと働くことは等しい」感覚です。

好きだから、何か目的を持っているから、という理由で仕事を選びます。

 

一方、日本の場合はどうでしょうか?

 

まず、「働く」ことと「生きる」ことの関係性を考えると、多くの日本人はまだ、働くために生きている、お金や家族を養うために生きている側面が大きいと思います。つまり、自己犠牲的な生き方です。

 

「働くこと」が「生きること」の一部になってしまっているとも言えます。(下図①)

 

そこで、「働くこと」「生きること」ことは自分にとってどんな意味があるのか、どんな人生を送りたいのか、そのためにどんな働き方をしたいのか、そんな問題意識を持ち、試行錯誤していくと、自分の内面にも変化が出てきます。(下図②)

 

そうして、自分自身との対話を通したり、組織や地域も含めた社会に目を向けられるようになったりすることで、「私」というもの軸が太く強くなるのではないかと思っています。(下図③)

 

 

作家の石田衣良さんが、こんなことを書いていました。

 

自分の幸せや気分を、この国や時代の在り方から切断すること。ある社会に属し、メンバーとしての責務を果たしながら、自由に自分の人生を企画すること。公と私のバランスを再整理して、私を強くしていくしかない。この新しい生き方を自由でおもしろいと思うか、不安で怖いと思うかで、これからの人生の色合いは決まってくる。

ぼくはこんなにおもしろい時代はないと思うよ。みんな、自分の居場所をつくって、勝手にたのしみながら自分の仕事と遊びを始めよう。

 

自己犠牲的な生き方から主体性を持って自分の人生を生きる、そんな人がたくさん増えていってほしいです。私も自己犠牲的な生き方から、自己主体的な生き方に少しずつシフトしています。

 

それもこれもコーチングや哲学を通して、物事の見方や考え方が変わり、勇気が必要な行動を一歩一歩とってきたからです。自分の人生に挑戦しましょう!

奥富 宏幸
\この記事を書いた人/ リーダーシップ&キャリアデザイナー

奥富 宏幸 - Hiroyuki Okutomi -